飯田信雄写真展「SAISEI」で気づいた抽象写真、そこから妄想する環境映像の可能性

飯田信雄さんの写真展「SAISEI」を見に出かけました。被写体は花、庭、木々、木漏れ日などの自然ですが、撮影方法が変わっているので、「花だね」「木だね」とすぐに気づかず、見る側への問いかけがあり、「どうも花っぽい」「どうも木なのかな」と次第に認識していくような感じです。そこが面白かった点の一つめ。

そして、プリント方法も変わっていて、ぱっと見写真なのか絵なのかわからないのですよ。これまでSNSなどモニターを通して見ていた時には写真と認識していたのが、今回はかつて見た図柄と同じなのか一瞬わかりませんでした。そこが面白かった点の二つめ。

話は変わりますが、展覧会で一つの作品を見る平均的な時間は17秒とのこと(文化庁メディア芸術祭の出展作で知る)でして、確かに「花だね」と思ってしまった作品の前に居続けるには何らかのきっかけが必要で、例えば、花の種類は、日中なのか夜なのか、などの興味が湧いてこない限りは通り過ぎてしまうと思うんですよ。

飯田さんの作品の場合は、「どうも花っぽい」の次に、◯◯みたい、どうやって撮影しているんだろう、どうしてこの方法なのだろう、などモノがはっきりと見えないからこそ湧いてくる想像があるんですよね(私の場合は、それに加えて、知り合いの作品だからということもあるかもしれませんが)。

つまり、この差は、普通の花の写真が具象であるのに対して、飯田さんの写真は抽象であるところから生じているのかと思うのです。言い換えると、飯田さんの手法は見る者に鑑賞の幅を持たせて提示しているようです。花や木という自然の色はそのまま表現されているので、私たちに慣れ親しんでいるものという安心感を与えた上で、じっと見させてくれているような。

今回の展示には映像作品もありました。私はこれが設営されている状況とともにいいなと思いました。会場は四角い部屋で大きな窓が通りに面してあります。通りといっても家屋に囲まれた行き止まりになっていて、そこに自然の風景を見ることはできないのだけれど、大きなモニターに抽象の自然がいくつも映され、この窓の外に見えたら心地がいいだろうと思わせるものでした。

ずっと見ていても飽きない映像を見て、抽象で自然な色の映像であるならば、公共的な空間での環境映像になり得るだろうと思いました。公共的な空間とは、どこかの展示会場かもしれないし、街中かもしれないし、屋内の広場かもしれないし。具体的には、屋外の芸術祭、駅の通路に林立しているデジタルサイネージ、激混み病院の待合エリア、混んでる電車の中。そういう状況で思いがけずにこの映像に出会ったら、少し嬉しくなるだろうなと思うんですよね。

●飯田さんの展示「SAISEI」は、28日までです。
飯田信雄 IIDANOBUO展 SAISEI-Rebirth
2021年02月23日(火)~ 2021年02月28日(日)
12:00~19:00 (最終日17:00まで)
北青山gallery DAZZLE(ギャラリーダズル)

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