Augmented/Words in the city 展示とアプリから見るAR彫刻の可能性

児嶋啓多さんの展示「Augmented/Words in the city」を見に出かけました。展示は、自作のタイポグラフィーの彫刻化+それをARで渋谷の街に配置し撮影した写真。一方で、アプリ化もされていて、スマホにインストールしたアプリを通じて渋谷の街を見ると言葉の彫刻が現れるんですね。展示写真の風景と彫刻、そしてアプリを通じてみた自分がいる渋谷と言葉の彫刻、その両方を経験して気づいたことがあるので書いてみます。

たとえば上の画像の左の写真LOVE or HATEの場合は、言葉の彫刻が地面から近くて人と同じような大きさのため街中の公共彫刻を撮った写真のようにも思えたのですね。そう思って全ての写真を見ると、まるで作家が、渋谷の街中に見えない公共彫刻を設置したからアプリを通じて見てほしいと、言っているのではないかと思ったのです。つまり、展示は導入でありアプリを通じた体験こそが見る人にとっての体験なのではないかと。

実際に自分が言葉の彫刻が設置された街中に行って、アプリを通じて見てみると、大きすぎたり、言葉の正面ではなかったりと試行錯誤して、どうにか言葉を捕まえようとつい夢中になってしまう。渋谷でつぶやかれて忘れ去られていく言葉が彫刻化されることで、今度は第三者によって捕まえられようとしている、その構造が面白いですよね。

この『見えない公共彫刻』ってものすごい可能性を秘めてますよね。大きく言って二つあると思います。

  • 自作の彫刻のアプリ化で色々な人に公共彫刻としてみてもらえる
  • 芸術祭などでリアルな彫刻をあちこちに配置するだけでなく、見えない彫刻を探す体験を提供できる

いや簡単に言っちゃいましたが、可能性大いにアリですよ。多分萌えるポイントはその場に行かないと見られないことだと思います。だから、公共彫刻やりたい人とか芸術祭とマッチするのかと思うんですよね。あとAugmentedに関して言えば、自分の立ち位置が正面とは限らないので、簡単にキャプチャーできないという点も個人的にハマるポイントです。

アプリなのにその場(設置された場所、条件にあった場所)に行かないと見られないということについて補足すると、例えば、場所の近くの人にとっては日常の場に非日常の場が現れることだし、場所から遠い人にとってはそこに行く機会があれば行くことに加えてアプリを通じて自分だけの体験ができるし、逆にアプリがあることで彫刻を見に行きたくなるかもしれませんね(現在のコロナ禍でそういう状況はいつくるのかとも思ってしまいますが)。

実は、AirTでも紙のTシャツが意外とハードルが高いのでアプリにしたいと思っていたのですが、Augmentedのアプリに接したら、いつでもどこでも使えるのではなくてなんらかの制約は設けた方がいいのかもしれないと思い始めてます。昨日気づいたばかりなのですが、地になるか、図になるかがはっきりしている方がよくて(多分)、中途半端じゃダメだと思ったのですね。そんなことについては後日書きます。

展示詳細
児嶋啓多 展「Augmented/Words in the City」@「Meets by NADiff」渋谷PARCO 4F
2020.07.28[火]—2020.08.10[月]
http://www.nadiff.com/?p=19115

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